工藤冬里 Garden clay festival

2019.6/14金 - 29土

工藤冬里
Garden clay festival

庭の土で作った器やオブジェがたくさん並んでいます。

 

6/14金 Live
18:00 open 19:00 start
¥2000+drink order
出演・工藤冬里・健司愛子千恵

6/29土 Live&Food
18:00 open 19:30 live start
¥2000+drink order
出演 Maher Shalal Hash Baz
食事「maua」の雨のプレート
–季節の野菜やお米に寄りそったお食事   ¥1500

 

Maher Shalal Hash Baz
工藤冬里率いるマヘル・シャラル・ハシュ・バズは、日本の実験音楽バンド。80年代より活動を始める。メンバーは固定されず、国内外、世界各地のライブを行うその地で縁のあるミュージシャンから楽器初心者などが参加しているのも特徴。スコアを元に演奏するが、その日だけのメンバー構成ゆえか即興的な要素が多い。どこか懐かしい感覚と、捉えた一瞬だけの出来事とが同居する。鋭くもゆらめくジプシー的なバンドライブを見せてくれる。

 

maua
マウア。岐阜市の美味しい食の作り手。素材を大切にして、そのとなり合う出来事とのバランスも見守っている。おむすびのために、それにあう水を遠くの山まで汲みに行く。二十四節気のお弁当や出店が、主な活動。

 

 

土は庭の土ですが、磁器が入ってくる以前の16世紀初頭まではこの辺りで使われていました。釉薬は肱川上流の採石場の泥の単味で、酸化でも黒くなります。単味の土を母胎に、単味の泥を天目にして、収縮率の問題もクリアしているというのは、アベンジャーズが勝つ確率くらいありえないことなんです。メインは鉢なんですが、むかし松山にくるきちという、いまは焼けてなくなってしまった店があって、高校の頃行ってたんですが、そこのおばあさんが、法蓮草の根っことかを大きな鉢に入れて出していて、そういうカウンターにどんと置くような大きな鉢はいいなと思っていて、それで。都現美で文谷さんの寸断されて見え隠れする直線と即興を組み合わせる手法にはすっかり感心してオーレンの裏ラベルに応用してみたりしていたが、尾道で縄文の写真集を見て、すっかり紐作りに嵌り、紐で彼女の二種の線が出来ないかなどとやってみていて、気が付くと夜中になっていたりする。その即興への変換のアルゴリズムは、アメリカのTVドラマ冒頭でひところ流行った、登場人物がいきなり戯画的モノトーンの静止画像に固まるエフェクトに似ている。同様の機能は古くから画像編集ソフトにあり、ライブのチラシに使ったりしていた。ある風景が情緒として漫画的に固まる時、環境としての建物のような人工物は直線に還元される。明度を更に上げると直線たちは寸断され、閉じた輪郭たちも開かれる。本人は違うと言うだろうけど、それが文谷さんのサウンドスケープ=楽譜変換である。即興紐理論はポロック的フラクタルの生物性を人工物を含む環境に開く糸口になり得る。ヒモ作りは先天後天含めた遺伝的悪習パターンの組み替えを要請されるからだ。粘土でものを作るという螺的行為が治療にさえ使われるのは工芸性の希求に依るのではなくDNAの創造からリセットされる一日体験だからだ。パンクにとって人生とは深みではなく、一日体験なのである。鉄とタンニン、ポリフェノールの化学反応としての泥染めは raw ceramics, 焼かない陶芸だ工芸性ゼロの工芸が見たい人にはいい展示だと思うよ今までの茶碗のサンプルを一通り作ってから死にたいと言っていたが、二年前の夏以来轆轤に触ってなくて、大体朝から発泡酒を飲むか本を読んでいる。サンプルはサイズは勿論だが口や高台の角度や厚みが厳密に用に従って息ができないほどにデザインされていて、それでいてかたちの工芸性は抑えられている。手が震えるのでずっと新聞紙に線を描いていたが、最近はそれもやらなくなった。諦めたのだろう。ずっと佐川さんの鉄分の無い上々を毎年二締め買っていたが最後の茶碗用に六本残していて、それを僕は使えない。新しく買うと二年は寝かせなければならないが、買うと気が殺がれるだろうと気を遣って買うのが憚られ、僕は白磁の仕事が出来ないでいる。楽家では80年寝かせるそうだから孫の代まで視野に入れている訳だが、ここでは生産は一代限りの個人主義なのであって、ガーデン・クレイ・フェスティバルという一見明るい、庭土を使った展示名にしたのは、そういう事情に由る。デザインというミイラに取られた一生であった。軌道修正をさせようと、作品集の序文を頼まれた時には絵描きだった頃の反・非・職人的なアンフォルメルを思い出させようともしてみた。それに応えたのかどうか、最後は飛びカンナに部分彩色した絵画的な抽象の円筒ばかり作っていた。それは最後の昭和アヴァンギャルドの香りがした。窯の名前は春秋窯といった。油をやっていたかれの義父がサロン・ド・メとサロン・ドートンヌから命名した。だから最初からデザインとアートは乖離しており、古い言葉で言えば止揚を迫られてはいた。未解決のまま流されて選択を職人かデザイナーかといった民芸的な狭さに落とし込むことで風土と折り合いをつけようとした。ギルドの方向に活路を求めた。ひとのあつまりはいいものです、という残酷さはマヘルにも持ち込まれた。偶然性と工芸性をすり替えようとしたのだ。その度合いの違いがぼくらの違いである。芸術家というのは弱いものだ。何かあると幸福に生活していくための地盤がないことが露呈する。還元焔と抽象が至高であることはかれも分かっていた。だが美の王国ではなく王国が美なのである。工芸はそれに付随するものである。そして王国に対立する美もありそれをデカダンと呼ぶなら昭和はそれを求めたのだった。ボードレールの疎外の美である。初期の絵付けにビルの線があったことなど思い出している。唐草は蛇だ。アートで田んぼというイベントで蛇を食べた。インドネシアの若者たちは食べなかった。勿論酒も飲まない。ぼくらは造る必要はない。ただ、彼らも含めた光でなければならない。春秋窯としては商工会の登録を止しても良い。ただ光熱費を払うために黒いやきものを焼かなくてはならない。ガスが残り少なくもう買えないので電気を止めた後冷却還元をやってみている。登るより下る方が時間がかからない。1150から1050の間の鉄の巻き戻しの振る舞いに賭ける。南蛮風に水素を入れたいがそうすると線が傷んでしまうから出来ない。